◇三戸町指定文化財
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【旧三戸城表門】
所在地 三戸町川守田 月渓山龍川寺
所有者 同上

 龍川寺山門は、三戸城の表門の1つと言われています。具体的にどの門であったかは定かではないものの、「糠部五郡小史」には、「盛岡城御移城に際し門柱並びに御襖等拝領」と記されています。門柱以外の桁などは比較的新しい様に見受けられ、「門柱だけ拝領」は事実であるようです。
 薬医門形式で屋根は切り妻であり、天井板は張られていません。門柱のみ拝領といわれますが、全体の形式もさほど変わってはいないものと思われます。素材はケヤキ材が用いられ、扉には八双金具、乳金具が備えられています。

 この山門の他にも、「松風釜」「襖4枚」「衝立」「油揚鍋」を28代南部重直公より賜ったとされ、油揚鍋以外は現存しています。
【旧三戸城搦手門】
所在地 三戸町川守田横道 梅嶺山 法泉寺
所有者 同上
棟高 4.17m
柱間 3.37m

 法泉寺山門は、28代南部重直公より三戸城搦手門賜ったとされています。
 棟門形式で屋根は唐破風造りであり、垂木は一重の疎垂木です。現在はマサぶきからトタンぶきとなっているが、扉には八双金具や乳金具が備わり、天井板も張られていて見栄えが良い門です。
 他にも法泉寺の旧庫裏は6間半に7間で、太い柱が用いられ、長押には花菱の紋を彫刻した「釘隠し」が備え付けられており、この建物は三戸城の御台所を拝領したものだと言われています。また、板戸も拝領品として残ってはいるが、黒く煤けて絵を見分けることも出来ない状態です。
【旧三戸代官所門】
所在地 三戸町同心町字熊野林 護念山観福寺
所有者 同上
棟高 3.71m
柱間 2.1m

 観福時山門は三戸代官所が移されたもので、総ケヤキ作り、薬医門形式です。
 28代南部重直公が、寛永10年(1633)に盛岡城を正式に居城と定め、三戸城は「御古城」と呼ばれるようになりました。元和年間(1615〜23)には三戸城代が置かれていましたが、貞亨年間(1684〜87)には城代が廃止され、三戸代官所がこれに代わってこの地域を支配するようになりました。この地域の単位を「通」と呼び、盛岡藩領には33の通があったといわれている。
 また、記録によると、延享4年に代官所が新築されたとあるため、このときに旧代官所門がここへ移築されたのではないかと考えられます。
【隆帯張付文深鉢形土器】
所在地 三戸町
所有者 個人蔵
高さ  53cm
口径 40cm
底径 15cm

 この土器は昭和45年ごろ、泉山遺跡東方300メートルより、作業中に見つかりました。
 縄文時代後期初頭の深鉢形土器で、器体全面に粘土紐によって文様が施されています。
 文様は粘土紐を細く伸ばして器体に貼り付け、そこに縄文を施します。そしてその文様の縁に沿って鋭利な器具により沈線(溝)を彫りつけています。
【御野馬御用書留控(おんのまごようかきとめひかえ)】
所在地 三戸町大字川守田字関根
所有者 個人

 この古文書は、一戸五右衛門が、南部九牧を支配する野馬別当に就任した宝暦五年(1771)の暮れまで、16年の長きに渡り克明に記録したもので、日本馬政史研究の重要な資料です。
 その内容は九牧を巡検し、野守、野馬の数、牧野の状況を調査して書きとめたものです。
【手・足形土版】
所在地 三戸町歴史民俗資料館
所有者 個人
縦 9.5センチ 横 6.8センチ

昭和63年目時字中平の畑から出土しました。粘土版の両面に幼児の手形と足形が押圧されています。縄文時代の東日本には手形や足形の土版はよく見られますが、このように手形と足形を両面に持つものはほかに見られない特徴です。
手形足形は1歳位の子どものものであり、はじめて歩いたなどの記念に作成されたのではないでしょうか。
【木彫牛頭天王座像】
所在地 三戸町大字同心町字上川原
所有者 熊野神社
台座高 11.5cm 像高 26.5cm

 この像は、明治元年まで、熊野神社と並んで建っていた天王社に祀られていた本尊牛頭天王座像です。
 享保8年(1723)八日町松尾十兵衛が本主となり、施主数人をもって寄進したもので、台座背面にその旨が記されています。
 作者は京都の仏師法眼康継です。
【松風釜】
所在地 三戸城温故館
所有者 龍川寺
高さ   30cm
径    37cm

 松風釜は三戸城中で使用されたと伝えられる湯釜で、三戸城表門、襖、衝立などとともに28代南部重直より拝領したといわれる。
 これは鋳鉄製の大型湯釜で、蓋の取っ手に松毬がついている事からこう呼ばれるのであろう。
しかし、つばの一部が破損し、制作年代、作者ともにわからない。
【木彫弘法大師坐像】
所在地 三戸町同心町字諏訪内55 悟真寺
所有者 悟真寺
高さ   49.5cm
幅    50.0cm
作者、年代ともに不明

 この仏像は27代南部利直公の四男、南部利康公を祀る正智院に伝わったもので、背面に次の文字が朱書きされています。

   三戸正智院六代
         住  持
           紹慶求
             寄進
 
 この六代紹慶は享保10年になくなったと伝えられており、この仏像が寄進されたのはそれ以前と考えられます。
 その後、正智院廃寺にあたり、元三戸御給人佐藤耕左右が買い求め、菩提寺の御真寺へ寄進したと思われます。
  
【三戸代官宛て申付状】
所在地 三戸町大字梅内字城ノ下
所有者 糠部神社

 この古文書は、元文四年(1739)、33代藩主南部利規公、安政四年(1857)40代藩主南部利剛公より、それぞれ三戸代官宛に、三戸御古城の清掃を命じた申し付け状です。
 この古文書からも、盛岡へ本城を移した後も、南部氏にとって三戸城は大切にされていたことがうかがえます。
【浅黄色肩紅二枚胴具足】
所在地 三戸町城山公園内歴史民俗資料館
所有者 糠部神社

 この具足は糠部神社の御神宝として、南部家から奉納されました。藩主着用と伝えられていますが、どの藩主のものだったかは定かではありません。
【城山の杉】
所在地 三戸町城山公園内糠部神社
所有者 糠部神社
幹周  9.52m
樹高  22.00m
推定樹齢 800年

この杉の木は27代南部利直公の4男利康公の屋敷地にあったと思われ、農林水産省により樹齢はおよそ800年と推定されました。
糠部神社の御神木として親しまれています。 
【サイカチの木】
所在地 三戸町城山公園内糠部神社
所有者 糠部神社
幹周  5.95m
樹高  18.50m
推定樹齢 400年

このサイカチの木は27代南部利直公の次男政直公の屋敷地にあったと思われ、平成2年に日本植物保護推進会議の三宅一喜会長によって樹齢約400年と推定されました。